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「当事者」をめぐって

どうもしっくりこないのだが、でも説明せよと言われるとしどろもどろになる事柄がある。

当事者学は当事者の学であって、それ以外の人々はあくまでサポーターである。したがってサポーターが当事者の権益を奪ったり、学の中心に居座ったり、そのことで商売をしたりということは、原則的には許されないし、サポーターの役割は、当事者が中心となる力をもつべく、高等教育などをはじめとした環境を整え、学として成立するための準備段階において経験や知識を提供することだ。概ねそういうことが言われ、それはそれで妥当だとされる。

どうもやはりしっくりこない。分けて前面に推し立てることで、その姿や理屈をもって「当事者」外の人々をある種の思考停止状態にさせてしまう。あるいはサポーターが知らずと「学」をこうあるべきだと規定してしまい、「当事者」その人を、動かしがたい位置に置き続け、役割を、意識しないままに固定化させる。「いち抜けた」を許さない。そんなことはないのだろうか。利用主義と言って、どちらが利用主義なのか、やはり私にはまだストンと落ちない。といって、きちんと反論できないどころか、そもそも間違えているかもしれないから、どうしたって、しどろもどろになるのだが……。

ということもあってなのか、知的の当事者と支援の人たちとの関わりの在り方、場の作られ方に興味があるというか、硬直したものを解きほぐす何かがあるのではと考えたり……。それまた一方的で身勝手な思いなのかもしれず、日々はそんなことで動いているわけではないのだけれど。

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2010年06月08日 13:01に投稿されたエントリーのページです。

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