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「非現実的」という言い方が見失わせるもの

朝日の朝刊を読んだ。内田樹さんがネットで非難されたというのは知らなかったが、「全基地撤去」は、東浩紀さんおっしゃるように、最も妥当な主張だと思う。訳知り顔で「非現実的」と論難することのほうが、よほど事の本質から人を遠ざけることに力を貸している。

不勉強のせいかもしれないが、なぜグアムなら良いのかが、私にはさっぱり分からない。かの地の貧困の問題と基地移転の話は、たとえ市長が来日してそれを訴えたからといって、混同されたり、前者を理由として後者が良いとされるものではないだろう。別の事柄として分けて考えられるべきだ。ではないと言うなら根拠を私にも分かりやすく教えてもらいたい。

同じ朝日で今週の月曜、鹿野政直さんが書いておられたが、沖縄の人たちの思いの核心が、移転・移設ではなく撤去・閉鎖にあるとすれば、なすべきは「非現実的」な話を、現実の議論の俎上にのせるために頭を悩ませ努力することなのではないかと思う。

せっかく割って出るんなら、せめて社民党には「移転ではなく撤去を」ぐらい言っていただきたいものだ。

今日は別のイヤなニュースもあった。自立支援法が、つなぎ「改正」されるという。廃止するのになぜ名前残してつなぐのかが、そもそも分からない。ヤバイなこれはと思うのは当たり前で、結局、1次意見書案が出たばかりの制度改革推進会議での議論も、「現実はなかなか」とかいってのらくら受け流され、気がつけば何も変らずって、そんなことはないと思うけれど、とても心配かつ、やな気分だ。

「きれいごと」などと揶揄されようがなんだろうが、理念はやっぱり大事。

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2010年05月27日 10:34に投稿されたエントリーのページです。

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