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すっきりとはいかないけれど

12月13日、国連総会で、障害者の権利条約および選択議定書が採択されました。
12月15日、教育基本法改正と防衛庁省昇格関連法が可決、成立してしまいました。

とても嬉しいことと、とてもきな臭くて息苦しい気持ちにさせられることが、
ほぼ時を同じくしておきました。
嬉しいことはより実効性を持たせるべく、きな臭いことはより実効性を失わせるべく、
それぞれの場所でそれぞれが(私たちの場合はまずは出版という形で)、
動いていくしかないのだと思います。

ここ10日あまり、もちろん飛び飛びにではありますが、
仙台、東京は吉祥寺、三田、そして千葉と、
学会や、研究会、一対一の対話など形式は様々だけれども、
支援・援助ってなんだろうということを考える場に、
本の宣伝や、企画のご相談をしながら、参加し続けてきました。

ある方がこんなニュアンスのことをおっしゃっていて、
「今の○○支援(○には色々なことばを入れていいように思いました)は、
ツール開発、援助技術の習得に躍起になるあまり、一つ一つのケースにきちんと
寄り添い、見立てていくことが、ややもすればないがしろにされがちではないか……」
それは、とても大事なことのように思いました。

むろん、個人の力量や経験のみに頼るのはよくないし、
勘違いをすると、ある発達障害者支援の研究大会で、
「ヒトが人間になる」「『普通の人』としての暮らしを遍く実現させる」などと、
信じられないというか、許しがたいことをいう、
戸塚ヨットスクールばりの、「ベテラン」援助者がいたように、
とてもやっかいなことにもなりかねません。

また、誰にとっても使いやすいツールや支援技術を研究、開発し、
どんな効果があるかをエヴィデンスに基づいて検証し、広めていく。
それは、とても大事なことだし、みんなに望まれていることだと思います。

ただ、きれいなすっきりとした解決を追及するあまり、
少しずれたり、おっこちたりしたとき(現実にはそのほうがずっと多いように思われ)、
支援する側も支援を必要とする側も、つらくなることはないのだろうか、
そんな風にも思うのです。

素人が何をいっているといわれると返す言葉もないですし、
きれいに解けないときの応用力こそが専門性ということだと思いますので、
結論としては、そんな力量をもったかたがたの、
そんなところにも気を配っていただいた本を作っていきたい、
ということに尽きるのですが……。

それと、もう一つ気になっていることに、
支援者・援助者の当事者利用主義ということがあるのですが、
全く、まとまってもいないし、いえそうにもないので、いずれまた。

PS:仙台は実家にも近くなんども足を運んでいる場所なのですが、
「白松が最中」を頼まれて、土産に買って帰り、ご相伴で初めて食べました。
胡麻餡、確かに美味しいのですが、私はやはり大納言ですね。
ハイボールにとてもよく合います。

PS2:生活書院にとって3冊目の新刊、『わたしの介護ノート』が14日、出来てきました。
22日ぐらいから全国の書店に並ぶと思います。どうかご一読を!


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2006年12月18日 13:44に投稿されたエントリーのページです。

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