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年の終わりに八たび――見張り塔からずっと

  見張り塔からずっと王子達が見下ろしている
  女達や裸足の召使達が往来するのを
  遠い向こうから ヤマネコの鳴き声が響いてくる
  2人の馬乗りが近づいていく 風がヒューッとうなる


勝手に貼らせていただいた訳詩だけれど。今の自分の気分に一番近い気がする。
今年1年ブログをアップしていなかったことに今さらながらに気付く。
忙しかったのだろうか。確かに小さな子が一人加わって私事にはさまざまなことがあった。
小さな会社のほうも変わらずそれなりに忙しかった。
でもブログを書く気になれなかったのは、暗澹たる気分が日々強まる1年だったからだとやはり思う。

福島はいっこうに変わる兆しがない。見放されつつあることへのルサンチマンに近い憤りを社会運動の2分化に重ねてしまい、友人すら失うことになった。
暮れに年賀状の文面を考えていて、「秘密保護法制定への動きなど剣呑極まりない状況は強まり」と書いて印刷に回したらあっというまに法律は通されてしまい、訂正することもかなわなかった。
そして、少しは息継ぎをして、福島に独りいる父をこの正月もこちらに呼んで年を越そうとした矢先、モーニング姿の首相の写真が目に飛び込んできて、「孤立」と「暴走」の国にまた大きく舵がきられて年は暮れていく。その日ある方にお返事したメールに私は以下のように書いた。

「私たちが今内在的に抱えているものが、例えば今日の参拝をも許容し下支えしてしているのかもしれない。自分はそこに与していないとはもはや言えない段階に事は進んでしまったようにも思います。」

乱暴に言えば、「あんなやつと一緒にされては困る」と言っていればいいという段階を大きく超えてしまったのが、今年という1年だったような気がする。

それでも、やはりしのいでいくしかない。やれることをやっていくしかない……。そのメールの後半には以下のように書いた。

「呑気に生きたいと今も思いますが、そうもいかないようです。せめて夜、床に就くときは、どの地にあろうともどんな境遇を生きていようとも安心して眠りにおちていけるようであって欲しいと切に思いますし、そのために出来ることを私なりに僅かでも考えていくしかないと思っております。」

さあ、これから読書会に行ってきます!!

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今年1年もまた大変お世話になりました。以下15点の新刊を刊行することができました。
来年もよろしくお願いいたします。

よい年をお迎えください。

2013年に刊行した本…『自立を混乱させるのは誰か』、『支援vol.3』、『私的所有論(第2版)』、『千年災禍の海辺学』、『もうひとつの学校』、『日本における作業療法の現代史』、『生存学vol.6』、『改訂版 医療現場の保育士と障がい児者の生活支援』、『手話の社会学』、『障害学のリハビリテーション』、『司法福祉学研究13』、『障害のある子の親である私たち』、『福祉と贈与』、『腎臓病と人工透析の現代史』、『知的障害者と自立』


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2013年12月28日 11:30に投稿されたエントリーのページです。

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