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「生活保護があるじゃん」

ちょっと、誤解を与えかねない表題ですが、先週参加したある集会で、障害当事者の方が、「自分は(なかなか就労は難しい現状だが)多様な働き方を模索し工夫して働きたいと思っているが、『働く』ということについて、どう思いますか」と問いかけたのに対して、別の当事者の方が、自分が救われた言葉としてあげられていたのが、この言葉でした。「働きたい」と思うことだって、実は「働く」ことがいいことだという前提に引っ張られているだけかもしれない。だったら「生活保護があるじゃん」、そこでまずは生きる基盤を作ってひとまずゆっくりする。そこからまた考えたり、そのままでいたり色々あっていい。

生活保護は生存権を保障する最後のセーフティネットである。したがって危機回避、限定的なもので、当然、自立の助長ということが、もう一方の大きな柱である。とにかく「自立支援」が今のさまざまな施策の謳い文句なのだ!ということになるのでしょうが、うーん、素人考えではあるけれど、あんまりそこが強調されると、「生活保護があるじゃん」や「生活保護でいいじゃん」という形で、そのことが積極的な意味での自立生活の基礎になってきた人達にとってどうなんだろう? 「自立支援」されて「自立生活」が崩壊したってなことになりはしないかと、やっぱり少し思ってしまいます。

人が生きる上で、「お金はやっぱりあるほうがいい!*」というのは(もちろんそんなにたくさんでなくていい)、それはそうであって、政治的なスローガンだけに終わらせない、社会保障制度や政策へのしつこいコミットメントが必要なのでしょうし、それは学者・研究者の皆さんからも、もっともっと生活者に伝えられ、またフィードバックされて、「使えるもの」になっていかないといけない。あそらくは、そういうことだろうと……。

「生活保護があるじゃん」と言える、また言うことの意味を、かちとり、使ってきた当事者の方の言葉で教えられて、わからないなりに、しつこく考えていこうと、あらためて思ったのではありました。


PS:とても個人的な話ですが、福島に暮らす親が『知的障害者が入所施設ではなく地域で暮らすための本』を、今も兄が入所している施設の関係者の方にと5冊買ってくれました。だから、どうだということではないけれど……

*アルバム『ぼちぼちいこか』(この、カヴァジャケの食い倒れ人形もキュートな名盤が、CDで、今、廃盤とは知らなんだ。いいのかそんなことで)のA面5曲目(LPだよ俺はと言ってみたくなるこのいじましさ)、キー坊と金子マリさんが歌う、「みんなの願いはただひとつ」で、最も印象的なフレーズ。

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2007年06月25日 15:45に投稿されたエントリーのページです。

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