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2008年10月 アーカイブ

2008年10月03日

オレハアナタタチニナンカダイヒョウシテホシクナイ

岸信介が、往時、日本敗戦後の艱難の中を生きる、在米日系人に対し言い放った言葉を、たまたま見ていたNKH教育TVの番組で聞いた。
それは、在米日系人が、日米の溝を埋める存在となりうるかということについてだったが、岸はこう語ったという。
「日本で政治家なりえたのはみな華族なり武士の出である。移民は経済的落伍者であって、日本の立場を代表できない」

そして麻生太郎氏は……。
――「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが政党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。――
こう書いてある、魚住昭さんの『野中広務 差別と権力』を、週間朝日誌上で評して、永江朗さんが、重版を重ね文庫にもなっているこの本のこの記述に対し、未だに麻生氏側が何の訴えもせぬということは、麻生の差別発言はまぎれもない事実だろうし、だとすれば麻生太郎を総理として認めるわけには断じていかない、といった趣旨のことを書いておられた。
「118年になんなんとする、憲政の大河」だかなんだか知らないが、こんな人たちが総理だ宰相だと持ち上げられキャーキャー騒がれて、本当にいいんだろうか。失言でも放言でもなく、彼らなりの、揺るぎないそしてとんでもない本音であり資質であろうに、なぜ大手のジャーナリズムはこうした根本的な問題をとり上げないのだろう。

岸の孫とか、吉田の孫とかいって、「きみたちとはもとが違う」とかなんとか思っているんだろうが、
<オレダッテソンナクダラナイヒトタチノナカマナンカジャゼッタイニナイシ、ダイヒョウサレタライヤダ>

とまあ、久しぶりに少しむかっ腹がたちましたが、それはさて措いて、新刊が出ました。
山下幸子さんの『「健常」であることを見つめる』、70年代、青い芝やグループゴリラで何が生み出され、何が問題となり、そして80年代以降に引き継がれ、くり返し悩みとなり、語られ行動されてきたこととは何か。山下さんの生真面目さがとてもいい形で結実した、読み応えのある本です。「緊急あぴいる」をはじめ、当時の貴重な資料も巻末に収録しています。今月10日までには書店に並びます。是非ご一読を!

2008年10月27日

テレビをはずして

ちょっとした事情と思い付きから、部屋のテレビをはずしてブラウン管にTシャツをかけて隠してしまった。別にテレビを毛嫌いしているわけではなく、これから先もずっと見ないわけではない。チョット仕舞ってみた。
世間の一定の数の人たちと同じぐらいには、野球というゲームが好きなので、ポストシーズンの試合をテレビではなくラジオで聴いたりしている。これはあまり面白くない。ラジオをつけてみると、存外、ニュース系の番組が少ないが、好きな演芸番組はテレビよりずっと多い(テレビは演芸ではなく、バラエティ―あれがバラエティなのかは別として―をやっているだけ)。浪曲や講談、粋曲なんてのもかかったりする。爛漫ラジオ寄席なんか何年ぶりで聞いたろうか。

必然、音はよく聴くようになる。そんな折、数少ない遊び仲間から(仕事ももちろんいいのを一緒にやります)、ナターシャの「宵々山ライブ」(第一回の単発もの、その後の「宵々山」もBOXで出ていたが、私は持っていないし、もちろん今は廃盤)と「フィールドフォーク1・2」が紙ジャケで再発されたとのメールを貰った。LPでは持っているが、聞くとほしくなる。岡林さんの再発ラッシュなどはともかく、ナターシャのこっちからの再発は意外だった。「お地蔵さん」や「107」を再発する前にこっちかという感じである。宵々山は、とうとうナターシャのメンバーが揃っている時には行けなかった。今はもう行く気はしない。なんとなくだが、永さん(永さん自体は好きだけど)と高石さんが一緒に色々と仕掛け始めてから、ナターシャはつまらなくなったような気がする(木田さんが亡くなったのは本当に痛かった)。
少なくとも、私にとって、107やフィールドフォークをやっている頃のナターシャは、大好きなチームだった。「お地蔵さん」の前に、1971年に作られた「序」というタイトルの当初はお蔵入りだったアルバムがあって、2000年になぜかこっそりひっそりとCDで出ている。メンバーは高石、城田に金海たかひろ、そして、高石とし子さんが参加。木田さんや、しょうごさんが入ってからの完成度はないけれど、ナターシャが何を目指していたかのエッセンスはとても強く出ているように思う。逃げるようにアメリカにわたり、そして名田庄村に行き着いた高石さんは、この「序」のジャケットで、最近コーラを一気飲みしてゲップをする芸でちょっと売れた芸人さんそっくりのロンゲのカニみたいな姿で写っているのだが、今のマラソンおじさんよりは間違いなくかっこいい。

70年代はじめ、私はナターシャを聴いて、ウディ・ガスリーやジャック・エリオットを後付で知った。そこから色んなところへ後は自分で行けばよかった。
昨日、旅先から帰ってきて、ウディ・ガスリーの“A Legendary Performer”を久しぶりで聴いた。単調と言えばこれほど単調なメロディーラインのアルバムもない。でも、ウィスキーのボトル一本ぐらいは呑めてしまうアルバムだ。30年代の恐慌の時代を唄ったこのアルバムに残されているのは、プロテストではなくトピカルの唄だと思う。だけれどその唄は、今のこの時代にそのまま持ってきて、通じる意味内容をもっている。トピカルの唄を、自分の立ち位置からしつこく唄っていく、そうすれば何か残る。というのは、他のことにも言えたりすることではないか、そんなことを思ったりした。

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