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【Web連載】
『生の技法』補遺+使い方・1
連載:予告&補遺
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立岩 真也
(2013/03/01)
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…
■初版前後
このたび
第3版・文庫版
を出してもらった『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也)を藤原書店から1990年に出してもらった。(「せいのぎほう」と読みます。ときどきそう読んでもらえないので→「なまの技法」でもそれはそれでよいのですが。)その時のいきさつについては
「第3版刊行にあたって」
(ただしHPに載っているのは私の草稿、尾中・岡原が書き加えたものは本のほうをどうぞ)に書いた。このときには初刷(はつずり・第1刷・最初に刷る分)から1000冊、著者買い上げ、というのをしたはずだ。
岡原
さんが――こないだひさしぶりに会って、対談というのをした、このことについてはまた――彼の車で、それを、当時私が住んでいた三鷹市のアパート(というか一軒家の一階で、そこには入りきらないわけで、裏に設置した――そんなことしてよかったのか、許可をえたのか忘れたのだが――倉庫)にもってきたことを覚えている。それから1年ぐらいで、どうやって売ったのか、やはり定かでないのだが、とにかく行く場所行く場所に担いでもっていって、ひたすら売って、なんとかはけたのだったと思う。(それ以来種々の催しの会場の片隅や郵送やらで「直販」してしまう癖から抜けられないでいる。→
販売します
)
苦労したのは題で、
『自立生活への道』
(仲村優一・板山賢治編、1984、全国社会福祉協議会)という題の本は既に出ていたし、あまり「自立生活」という言葉を題に使いたくはなかった――そのことも
「第3版刊行にあたって」
に書いた。何日も考え、いろいろと案を出すには出したが、どうもうまくなく、なかなか考えつかず、当時始まったばかりの
藤原書店
の社屋――といってもそのころは早稲田あたりの一軒家で、その2階で、社長さんの藤原良雄さんにも加わってもらって、午後いっぱいはあれこれ悩んだ。(藤原さんは
新評論
で編集者をしていて、その時に、本を出してくれるということになり、その後の彼の退社、1989年の出版社立ち上げに伴い、私たちの本は、藤原書店のごく最初のほうの本として出ることになった。)それでなんとなく、誰が言ったのか、「生の技法」ということになった。それで、岡原さんが、勤め先の慶応義塾のラテン語の先生に聞いて、ラテン語だと ars vivendi というのだそうであることを知った。「ars」は「art」のもとになった語だと思うが、もともとは「芸術」というより広い意味の言葉だったはずだ。「vivendi」は形容詞で、たぶん、フランス語の「生きる」という意味の動詞「vivre」もそのへんからきているのかもしれない。
その語を使って、経費節減のために、本の表紙案を作った。それを、清藤(せいとう)洋さんがきれいに整えてくださった。以後、彼が藤原書店を離れるまで、担当してくださった。清藤さんはとても誠実な編集者で、刷が変わるたびに変更した
自立生活センター
の一覧表(今はすぐ
全国自立生活協議会
のHPから
加盟団体一覧
を見れるから、今度の版では省いた)なども作成してくださった。清藤さんは後に独立されて、
「書肆心水」
という(「書肆」は「しょし」で本屋・書店のこと、でその部分を抜くと)なんだか日本酒の銘柄みたいでもある出版社を立ち上げ(2004年)、とくに最初のころ、ブランショ(Maurice Blanchot)の翻訳本を何冊も出して、清藤さんはこんな本を出したかったんだ、と思ったものだった。私も、すこしブランショは読んだことがあったのだが――ただその当時もっていたのは『最後の人/期待・忘却』だけだったと思う(いまは
「新装復刊版」
というのが出ているようだ――そんな話はしたことがなかった。)
■学校での使い方
その後、5年後の1995年に
第2版(増補改訂版)
を出してもらった。そのあともぼつぼつと売れていた。初版が第3刷まで、第2版が第7刷まで出た。私が長野県松本市(信州大学医療技術短期大学部、現在は医学部保健学科)にいた間(1995年4月から2002年3月までいた)は看護学科の「社会福祉学」の講義でこの本を――看護師の国家資格の試験にはほんのすこしだが「社会福祉」関係の問題も出るので、それはそれとして(まじめに)「対策」しつつ――「教科書」にしていた。半期15回の講義をどうやってやっていたか。
初回、か第2回めぐらいか、第1章「〈私〉へ――三〇年について」で30年分を語っている
安積遊歩
(この本では戸籍名の純子で出ているが、ほぼ「遊歩」で通していて、何冊かある単著等の著者名も安積遊歩、なお「安積」は「あづみ」ではなく「あさか」)が出てくるビデオを見てもらった。彼女は1956年生まれで、
骨形成不全
で、1996年に宇宙(と書いて(「うみ」と読む)さんを出産した。その前後のことを取材したNHK・ETVの番組が2本作られ、放映された。その2本めのほうを見てもらった。骨形成不全は多くが常染色体優性遺伝だそうで50%の確率でで受け継ぐことになる。それで、宇宙さんと二人親子骨形成不全である。その娘さんの生まれる前後の生活やら、その父親でもある石丸さんはヘルパーをして(当時)暮らしているのだがその様子やらが映っているその番組を録画したのを見てもらった。そして第1章を紹介した。(このあたりのことは以前『看護教育』という雑誌にさせてもらっていた
本の紹介の連載
の
第25回
(2003年)、「障害学?の本・2」、ようするに本書を紹介・宣伝した回にも書いてある。)
病院や施設や養護学校、医師や看護師のこと(がいやだったこと)が出てくる。そして、今度の版ではp.45「七六年、二〇歳になった時に障害者運動に出会った。」というところのあたりを紹介した。1956年と1996年の40年のちょうど真ん中の年ということになる。そこに出てくるのは、
白石清春
さんや橋本広芳さんや、そこには名前は出てこないのだが、福島の青い芝の会に喧嘩しにいって激論にして宗旨がえした「養護学校の先輩」は鈴木絹江さんで、これらの人々は、震災以後、という話を書いているとどんどんそれていくから、また別途(今度の文庫版で足した部分のp.512にすこし書いた)ということで。(ただ一つ、
『現代思想』2013年
3月号の特集が「大震災七〇〇日――漁師・サーファー・総理大臣…それぞれの現在」で、そこに白石さんは「
JDF被災地障がい者支援センターふくしま
での活動報告と今後の新生に対する提案」を書いている。)ビデオ見てもらうのも含め、ここまででだいたい2回。
そしてそのあと、第2章はとばして、岡原正幸・第3章「制度としての愛情――脱家族とは」。そこに書いてあること+、家族に家族でない人より大きな義務はないはずだという話。(その話+αは は、そのときにはなかった本、
『家族性分業論前哨』
に。この、「類書」に比してまとも、と思うこの本のことについてもまた。)
そして第4章
尾中文哉
「施設の外で生きる――福祉の空間からの脱出」で
施設(脱)施設
の話。その章に書いてあるように、よい施設ならよいうというわけでは(もちろんそれは悪い施設よりはよいわけだが)ないこと、それはどういうことか。加えて、当時(というか最初から)その施設に入れないということがあり、さらにその後本格化していく施設(とくに病院)から(出たくなくても、というかそのさきやっていけるあてがなくても)出されてしまうという他方の現実も含め、話すことになる。以上が各1回、とすると計4回(続く)。
■生活書院の本×3
◆横塚 晃一 2007/09/10
『母よ!殺すな 新版』
,生活書院,432p. ISBN-10: 4903690148 ISBN-13: 978-4903690148 2200+110 2500+
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◆立岩 真也・村上 潔 2011/12/05
『家族性分業論前哨』
,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110
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◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 2012/12/25
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』
,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 1200+
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連載:予告&補遺
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