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【Web連載】
認知症とともに、よりよく生きる 11
〜ある日の診察室〜
水谷佳子
「あのね、相談いい?」筆子さんに声をかけられました。「前にここ(のぞみメモリークリニック)で詳しい検査してもらってから、しばらく経つのよ。このところ、ちょっと気になるっていうか……また検査しておこうかな、どうしようかなって」。 いま、筆子さんは主治医から検査結果を聞いています。いつもはひとりで受診する筆子さんですが、今日は夫の毅さんも話を聞きたいと同席しています。血液検査、MRIの話がひと通り終わったところから、今回の物語が始まります。
* * * * *
医師:
あとは、ADASっていう検査で記憶のチェックをしました。
前回からの変化を見ると
記憶のしづらさがちょっと増えてるよ、ちょっとだけね。
筆子さん:
自分じゃあんまり認識ない……
医師:
それはそうだよね、痛くも痒くもなんともないからね。
経年的な変化については……
ちょっとよくなったりさがったり……
毅さん:
本人はね、このところ、もの忘れが多くなったと……
筆子さん:
多くなったって言ったって
俳優さんの名前じゃない!
何言ってんのよ。
医師:
そこは、乙女心の微妙なところ……
毅さん:
前回の検査からの間に、やっぱり変化してきてる……
本人も、僕に尋ねることが多くなってることは分かってるのに
僕がそのことを言うと、すごい反発するんです。
医師:
お二人の間に、きっと、そういう歴史があるんでしょうからね。
筆子さん・毅さん:
(笑)
医師:
その歴史には、僕は介入できない(笑)
今回ね、思うところがあって
筆子さんの方から検査したいって
言われたんだと思いますけどね。
毅さん:
僕はまぁね、あの、何も言わないようにしてるんです。
医師:
今、言ってた……
(筆子さんと顔を見合わせて笑う)
筆子さん:
すぐ言うのよ!
医師:
まぁね、色々あると思いますよ。
大事なことは、薬を飲むことじゃなくて
維持させることでもなくて
いかに、どうつき合うかってことなんだと思いますよ。
どうしたって、年をとると誰だって
記憶は悪くなるわ、足腰は動かなくなるわ
気の利いたことも言えなくなるわ
当然そういうこともあるんだけども
うまくつき合うっていうこと、なんだと思いますよ。
記憶の問題は、誰もが通る道で、
そこを何が何でも維持しなきゃいけないとか
よくしないといけないと思うと
窮屈でしょうがないだろうからね。
毅さん:
先生が仰った、お互いにうまくつき合うっていう……
そういうことなんですね。
医師:
つき合う。
認知症であろうが、それはうまくつき合う。
そうそうそう。
筆子さん:
こっち(毅さん)はね、すごく覚えてるんですよ。
私、どうでもいい人は覚えてないんですよ。
医師:
いいじゃん、いいじゃん。
筆子さん:
そしたらね、忘れてることを……
毅さん:
あのー、テレビ見ててしょっちゅう聞くんですよ、
この人誰だっけって。
だからその都度、答えてるんだけども。
まぁ、テレビなんて、どうでもいいんですけど
日常生活の中の出来事で、だいぶ記憶がね。
医師:
まずね、忘れるっていうことについて。
世間が「もの忘れ」って言うから
「忘れた」っていう言葉が使われて、皆、傷つくんだけど
実は忘れちゃいなくてね。
記憶というのは、
脳に入れる・持ってる・出す、なんです。
入れるのが苦手になるんですよ。
毅さん:
ああー、入れるのがね。
医師:
忘れちゃいないんですよ。
そこは分かっておかないといけなくて。
人は、1分間くらいは、海馬を通さないで記憶してる。
ところが1分以上経つと、海馬を通った記憶しか
参照できなくなってるんです。
それが、記憶を「入れる」の部分ね。
たとえば、「新聞片づけてね」と言う。
5分くらいして、まだ新聞が出てる。
さっきの出来事を、海馬を通って記憶した人は
「何で片づけてないの」って言うんですよ。
でも、出来事が海馬を通らなかった人は
「そんなこと聞いてない」ってなる。
さらに何か言おうものなら、「私は知らない」って怒ると思うんですよ。
何で怒るかっていうと
「私は忘れてないのに、何で責められなきゃいけないのよ」
だって、忘れてないんだもの、現実には。
毅さん:
記憶してないから……
医師:
そう、記憶しづらい。
全く記憶しないわけじゃないよ、一部記憶してるわけだから。
記憶しづらくなってるっていう理解は必要。
記憶しづらいんだって分かれば、言葉が変わってくる。
これは、つき合うためのひとつのポイントですよ。
忘れちゃあないんですよ。
世間が、あまりにも、もの忘れって言いすぎちゃったから
忘れたって、やっぱ思っちゃうでしょ。
たぶん、そのせいで
「何で忘れるの」って責めたい気持ちが芽生えてしまうの。
けどそれは、そういうふうに考えちゃうことを、
いつの間にか世間に刷り込まれてるだけでね。
これは、誰でもそうなんですよ。
本人も「もの忘れする」って思っちゃうし、言っちゃうの。
忘れちゃないんですよ。
でも、実際に指摘されたら、気分悪いってなるでしょ。
筆子さん:
いや、すごいこと聞いた!
一緒にボランティアやってる友だちに話すわ。
私、すごくいいこと聞いたって……
医師:
友だちは大事よ。
年齢的に孤立しやすいの、特に男がね。
都心でエリートサラリーマンやってた人が
仕事辞めた後ね、友だちいないって言うんだよね。
都心に集まる人って、住まいはてんでバラバラだからね。
いま、そういう場とか友だちがいるんなら、大事にした方がいい。
なるたけ友だちといい関係結ぶために
お互いにお互いのことを
ある程度伝えといた方がいいかもしれないね、機会をみてね。
* * * * *
診察室を出て、クリニックのフリースペースに戻ると筆子さんは「はぁ〜」と静かに大きなため息をもらしました。「聞きたいこと、聞けました?」と声をかけると「先生のお話聞けてよかったわ。でも何だか口がカラカラになっちゃった」。「わたしも〜(笑)。お会計待つ間、ちょっとコーヒーでも飲みませんか?」。ひと心地つくと、毅さんが話しだしました。
* * * * *
毅さん:
さっき先生が仰ってた、
“いいつき合いでいく”っていうのを心がければ
だいぶ喧嘩も減ると思うんだけどもね。
というのもね、僕は耳がだいぶ悪いんでね
家でね、けっこう聞こえないで、
コミュニケーションが悪くなってね。
時々ね、ちょっと言いあいになっちゃうんですよ。
筆子さん:
お互いに歳取ってきたからね。
毅さん:
いま聞こえてる、聞こえてないってその都度伝えないと
うまく会話ができない。
聞き間違いもあるんですよ。
だからその辺がちょっとややこしい。
筆子さん:
俳優さんの話すると、こっち(毅さん)が元気になるからさ、
それで、本当は名前なんてどうでもいいんだけど、
私が忘れたっていって聞いてるんだけど……
一緒にいて、お互いに黙ってるのは居心地悪いじゃない。
かといって、何か話題っていっても
なかなか思い浮かばない。
夫婦の歴史、じゃないけど、そういう会話しか出来ないからね。
わたし:
やりとりが楽しく出来ればいいですよね。
雰囲気がよければね。
毅さん:
本当に、お互いにそういう……
いいつき合いでいくっていうことなんでしょうね
筆子さん:
この人は私のこと、怒りっぽいっていうけど
(私が声かけても)この人が知らん顔してるから
大きい声出しちゃうのよ。
聞えない、大きな声でって言うから大きい声出すと
今度は怒ってるみたいに聞えちゃうしさ。
わたし:
ちゃんと声が届いて、いい雰囲気で話せるって
実はすごいことなんですよね。
私ね、ここ数年、聞きとりがかなり苦手になっちゃって。
音自体は聞こえてても、聞き違えたり、
色んな音が混じって聞こえちゃって
一人の声がうまく聞き取れないことが多いんです。
話しかけられても、聞こえてないことも結構あって……
いま、こうしてる時はよそ行きの顔ですけど
家の中だと素の自分だから
ダンナと言い合いになるんですよ。
「聞こえない!ちゃんと分かるように話してよ!」
「話してるよ」みたいな。
毅さん:
ええっ! ダンナさんと?
ああ〜、やっぱりそういう、我儘が出るんですね。
他人だと丁寧にやれるんだけど
夫婦だとぞんざいになって……
わたし:
耳が痛いわー。
素の自分で過ごせるっていうのは、
いい意味でもあるんですけど。
最初はね、自分が聞こえてないんじゃなくて
ダンナの滑舌が悪いと思ってたの。
自分の聞く力が変化してる、なんて思ってもいなかったの。
でも、筆子さんもさっき言ってたけど
お互いに歳をとるんですよね。
毅さん:
そうだよねぇ。
ちょこちょこ聞き直すと相手に悪いって思うし
つい、聞こえたふりしたりとかね、ありますよね。
それと、面倒くさくなっちゃうとね(笑)
わたし:
あ〜、ありますよね〜!
ダンナとの会話で、重大な話じゃないと思うと、
分かったフリして、
その会話を終わったことにしちゃったりとか。
何度も聞き直して、きちんと話の筋を整理して理解するのが
面倒臭くなっちゃって。
毅さん:
そうですそうです、まったくそうです。
喋る方が、大事な話、そうでもない話って
メリハリつけてくれると助かるんだけど
どの話も喋りたいことなんだろうから、難しいだろうね。
でも、こっちは、同じように話されると、
大事なことも聞き逃しちゃう。
話をしたくないんじゃなくて、集中して聞くことが疲れる。
筆子さん:
そうね、疲れるのね。
それは、分かるわ。
あなた、分かってくれる人がいて嬉しそうね(笑)
毅さん:
こっち(筆子さん)は耳がよすぎるくらいにいいんですよ。
筆子さん:
そうねぇ、昔から音には敏感だし耳はいいのよね。
だから、この人の苦労が分からないっていうのもあって。
毅さん:
補聴器使う前は、すごくコミュニケーションが難しくなっちゃって
もっと大変だったね。
ただ、補聴器も限界があって、
やっぱり自然の音じゃないからね。
ちょっと遠くになると、もうハッキリ聞こえないんです。
何か音がしてるなぁ、何か喋ってるなぁとは思うけども
言葉としては聞き取れない。
わたし:
技術がもっと進歩してくれるといいですよね。
つけてるのがストレスになっちゃうと意味ないですもん。
何のためにって言ったら
少しでもいい感じに過ごす時間が多いほうがいいから。
毅さん:
それは本当にやっぱり大事ですよね。
こっちも仕事がないから、家にいるわけでしょ。
四六時中一緒にいるんだからね。
筆子さん:
そうね、お互いに居心地よくってことよね。
お互いに、今までの生活とかやり方があるから
少しずつ、意識してね……
やり方を変えるように考えるのね……
* * * * *
以前のようにはいかない自分自身と、うまくつき合う。以前のようにはいかない周りの人と、うまくつき合う。記憶のしづらさを知りあう。聞こえづらさを知りあう。それぞれの「いま」を知りあう。ちょっとした配慮で、居心地のよい時間が増える。──こと近しい人に対しては「分かっちゃいるけど……」と言いたくなってしまう私だけど、筆子さんの言うように、ちょっとずつ、意識してみよう。この次にお二人と会えた時には、どんな話ができるかを楽しみに……。
(注)
ここで紹介するお話は、「暮らしの中にあるひとりの人」の声をできるだけそのまま伝えることを目指しています。本人の言葉は極力編集していません。また、個人情報に配慮し、実名掲載の承諾を得られた人は実名で、それ以外の人については適宜改変した名前で掲載しています。
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*水谷佳子(みずたに・よしこ)さんは、
のぞみメモリークリニック(東京都三鷹市)の看護師。
1969年東京都北区生まれ、コンピュータプログラマー、トレーラードライバーなどを経て、2005年に医療法人社団こだま会こだまクリニック入職、2012年からNPO法人認知症当事者の会事務局、2015年にのぞみメモリークリニックに入職されました。
認知症がある人・ない人がともに「認知症の生きづらさと工夫」を知り、認知症と、どう生きていくかを話し合う「くらしの教室」を開催。「認知症当事者の意見発信の支援」を通じて、「認知症とともに、よりよく生きる」人たちの日々を講演等で伝えながら、「3つの会@web(http://www.3tsu.jp/)」という認知症の人が情報交換出来るウェブサイトの管理運営の支援もされています。
以下は、このweb連載をはじめるにあたっての、水谷さんからのメッセージです。
認知症に関連する仕事をするようになって、
認知症の生きづらさ、認知症をとりまく様々なこと、
認知症とともに生きることを考えるようになりました。
答えのない問いや悩みの中で希望を探すうち
「認知症を考えることは、自分の生き方を考えることだ」と
思うようになりました。
認知症をきっかけに、「よりよく生きる」ことを一緒に考えていきませんか?
【連載は隔月に1度、偶数月中旬の更新を予定しています】
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