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【Web連載】


認知症とともに、よりよく生きる   6

〜ハルちゃんと「出会い直した」靖子さんの話〜


水谷佳子


「最近、ハルちゃん、歌わなくなっちゃったんだよね」
靖子さんが言いました。

* * *

 ハルちゃんは、私(靖子さん)が行ってるデイで
顔をあわせる人でね。
すごく親しいってわけじゃないけど
歳も近いし、近くに座った時には
ちょこちょこっと話してた。

ハルちゃんはさ、集団就職で東京に来てから
仕事一筋で働いてきたんだって。
田舎から出てきてさ、
女だからって甘えちゃいられない、
同じ給料もらうなら男も女もないって頑張って
何とかっていう賞を、社長から直々にもらったこともあるんだって。
でも、男連中にやっかまれたりなんだりで
悔しい思いをたくさんしてきたんだ、
なんて話を聞いた。

いっとき、ハルちゃん、しばらくデイに来なくてね、
どうかしたのかなって気にかかってたけど
職員さんに聞いても、ほら、個人情報だとかでさ。
詳しくは知らないけど、
脳卒中で入院したとかって聞いた。

どれくらい顔見なかったかな、
しばらくぶりにデイに来たハルちゃんはさ、
何だか気難しい顔して、
たまに口を開くときも、怒ってるような感じでね。
もともと口数が多い方じゃなかったけど
ほとんど、話さなくなっちゃってね。

まぁ、ハルちゃんの気持ちも分かるよねぇ。
長年、負けちゃいられない、なめられてたまるかって
バリバリやってきたのにさ、
今になって、身体が思うように動かなくなっちゃって
人の手を借りなきゃ、トイレも食事もできない。
そりゃあ、悔しい、情けない、腹立たしいだろうさ。
それに、脳卒中の後遺症なのかねぇ、
うまく喋れなくなっちゃってね。
言いたいこと言えないんだもの。

ハルちゃん、もともと愛想がいいタイプじゃなかったし
あれこれ人に世話されるのが不本意なんだろうね。
いつも眉間にしわ寄せて、空(くう)を睨んでる。
たまに口を開いても、ぶっきらぼうな物言いになっちゃうから
職員さんには煙たがられちゃうんだよね。
そういう雰囲気って、ハルちゃんだって分かってるんだよね。
でも勝気だからさ、意地はって
そっちがそうならって、意固地になるんじゃないかな。

逆に、ノブちゃんの近くには、いつも誰かいるんだよね。
通りすがりに、あれこれ声かけちゃあ、
ひざ掛け持って行ったり、お茶入れたり、世話焼くわけ。
ノブちゃん、ひとりじゃ、ほとんど動けないし
こう言っちゃなんだけど、手間がかかるのはハルちゃん以上だと思うよ。
けど、いつもニコニコしててね、
あれは……もともとノブちゃんの人柄なのか
やっぱり気を遣ってるのかねぇ。
職員さんが「ちょっと待ってね」なんて言っても
文句言うでもなく、嫌な顔もしないで、
うんうんって頷いて、やっぱりニコニコしてる。
みんな、傍にいて楽なんだろうね。

ハルちゃん、病気して戻ってきてから、ときどき、歌ってた。
「お〜さむ(寒)、小さむ(寒)、山から小僧がやってきた」ってね。
何でそんな歌うたうのかと思うでしょ?
ハルちゃん流に「寒いよ」って言ってるんだよ。
でも、ハルちゃん、そのひとことが言えないんだね。
上着持ってきてとか、向こうに連れてって、とか
人に頼むのに抵抗あったんじゃないかな。
そんなことで意地張ってどうすんのさ。
だけどね、「どうしたの? 寒い?」って、
誰かに気づいて欲しかったのかもね。
最初はそうやって声をかけてた職員さんもいたけど
だんだん、みんな、聞こえないふり、するようになった。
そしたら最近、ハルちゃん、歌わなくなっちゃったんだよね。

*****

 そんな話を聞いて数か月後、靖子さんは私に会うなり、息を弾ませながら言いました。
「ハルちゃんが歌ったんだよ、ほら、前に話したハルちゃん。まぁ、ちょっと聞いてよ」
熱いお茶をゴクリとひとくち、靖子さんは話し出しました。

*****

あれから、デイに新しい職員さんが入ってさ、
ハルちゃん、その人と一緒にいるとき、
たまに、笑うようになったんだよ。
笑うって言っても、あはは声に出すわけじゃなくて
口もとが歪んだような、ちょっと不思議な顔。
麻痺のせいかねぇ。
でもあれは、間違いなくハルちゃん笑ってるね。

新しく来たその人は、
歳はそれなりにいってるけど、もともと違う仕事してたっていうし、
特に何かが上手だとか、そういう感じじゃないんだけど
ほら、私も爪切ってもらったりするじゃない、
それで分かったんだよね。

──「爪切りで分かった」って、どういうことですか?
靖子さんは、鼻をちょっとふくらませながら続けました。

たいていはさ、爪切り持ってくると、
挨拶だの何だのはするけど、頭の中は爪切りオンリー。
とにかく爪切りが目下の最優先事項!てなわけ。

ところが、だよ。
その人は、爪切りしに来るんじゃなくて
私に会いに来る。
会いに来るっていうのも変だけど。
だからさ、私も楽しみができたっていうかね。
年寄りの寄せ集めみたいな場所で
何だかんだと世話になって、
帰る時間がくるのをただ待ってるだけだったけど
また会いたいなぁって人がいるのは、いいもんだよ。

ハルちゃんも、そういうこと感じてるんじゃないかな。
人づきあいに不器用なハルちゃんだけど
ハルちゃんの方から上手くやれなくたって
いい出会いがあれば、いい関係ってできるもんだよね。

昨日、珍しくハルちゃんの隣の席になってさ、
「おはよ」って声かけたら、
ちょっとだけ、目の端っこが笑ったようだったから
前みたいに、あれこれ、ハルちゃんに話したんだよ。
そしたらさ、歌い出したんだよ、春の小川。
春の小川は、ハルちゃんの十八番でね、
前は時々、気分いい時に歌ってたから
もう、嬉しくなっちゃって。
そういえば私、ハルちゃんが病気してから
あんまり話しかけなくなってたなぁって……。
だからさ、次にハルちゃんが来た時は、
席を隣にしてもらうつもり。

*****

 その後、ハルちゃんは相変わらず、しかめっ面の不機嫌そうな顔をしていることも多いし、怒ったような物言いもそのまま、だそうです。でも時々、靖子さんいうところの「不思議な笑顔」になることも、歌うこともあるそうです。靖子さん曰く、一番の変化は、靖子さん自身の心もち、だそうです。

*****

ハルちゃんが病気してからは、
ハルちゃんのこと、気になってはいたけど、
今思えば、端から見てるだけだった。
自分の中にも、どこかで
とっつきにくくなっちゃったハルちゃんから
距離置いてたところがあったんだろうね。

ハルちゃんの不思議な笑顔を見ながら考えたのね。
人が一生のうちに出会える数って
どのくらいだと思う?

──さあ、考えたこともなかったです……電車で隣に座った人なんかも数えたら、相当なんじゃないですか?

私も数えられるわけじゃないけどね(笑)
暇だけはたくさんあるから、ちょっと考えてみたわけ。
通りすがりもあれば、
駅員さんや店員さんみたいに、
ちょっとした、やりとりする人もいるし、
ご近所さん、同級生、職場の人みたいに
距離的に近い人、顔をあわせる時間が多いって人もいるしね。
家族とか親戚みたいに、
嫌でもつき合わざるを得ない人たちもいる。
私は保険のセールスレディしてたでしょ、
仕事の上でも、それこそ相当な数の人に出会ったよね。
あんただってそうでしょ。

──そう言われれば、そうですね。靖子さんと出会って、こうしてお話してるのもご縁ですよねぇ。

そうよねぇ。
出会うだけなら相当な数だけど
あれこれ話ができる相手となると
ぐっと少なくなるでしょ。
学校の先生、学生時代の友だち……
そうそう、職場の人たちはつきあいが長かったわ、
社会人としてのたたずまい、生き方まで影響受けたもの。

歌じゃないけどさ、人生いろいろ。
出会いも、いろいろ、でしょ。
80数年生きてきて、
カラダもアタマも、ずいぶんガタがきちゃった。
長寿世界一だのなんだの言ってる割には
年寄りを支える若手の負担なんて話、よく聞くじゃない。
生きてていいのか悪いのかって考えちゃう。
そろそろお迎えに来てもらった方がいいんじゃないかってね。

それはともかくね、
色んな出来事があって、色んな出会いがあって、今に至ってる。
若いころは考えもしなかったような今がある。
ハルちゃんだけじゃない、
私も、不本意なこと、情けないこと、ありますよ。

だけどね、
歌わなくなったハルちゃんが
また、歌うようになった。
私も、ハルちゃんと、また話すようになった。
話すって言っても、ほとんど私がしゃべって
ハルちゃんから返ってくる言葉は、ほんの少し(笑)。
でもね、ハルちゃんと話したいと思って一緒にいると
ハルちゃんの怒ったような顔にも
実はいろんな気持ち、言葉が潜んでることを感じる。
あ、いま目の端っこで笑った、とか
言いたいことあるのに、呑み込んだでしょ、とかね。
そういう会話もあるのよ!

人生の終わり頃になって
人さまのお世話になるような場所で出会ってさ。
お互いに、こんな風に年取りたくなかったかもしれないけど
それでも、こうして出会ってね……
ハルちゃんと話せるのが楽しい、
ハルちゃんの歌を聞けると嬉しい、
そんな風に思える時間が愛おしいって思ったらね、
私の人生、捨てたもんじゃなかった、
なんて思ってね。

*****

ハルちゃんと「出会い直した」靖子さんの話は、時間が経った今でも鮮烈だ。出会いは、いつでも、始められる。そこから、どんなつき合いにしていくかは、自分次第だ。
胸のどこかがチクリとした。抜けない棘みたいな痛みのありかをたどってみた。それは、ある日の、かおるさんの言葉だった。(注)
「その人はかがみ、自分を映す。いやだなあと思っているのは自分。」


(注)3つの会@web(http://www.3tsu.jp)掲示板より


─────────────────────

*水谷佳子(みずたに・よしこ)さんは、
 のぞみメモリークリニック(東京都三鷹市)の看護師。
 1969年東京都北区生まれ、コンピュータプログラマー、トレーラードライバーなどを経て、2005年に医療法人社団こだま会こだまクリニック入職、2012年からNPO法人認知症当事者の会事務局、2015年にのぞみメモリークリニックに入職されました。
 認知症がある人・ない人がともに「認知症の生きづらさと工夫」を知り、認知症と、どう生きていくかを話し合う「くらしの教室」を開催。「認知症当事者の意見発信の支援」を通じて、「認知症とともに、よりよく生きる」人たちの日々を講演等で伝えながら、「3つの会@web(http://www.3tsu.jp/)」という認知症の人が情報交換出来るウェブサイトの管理運営の支援もされています。

 以下は、このweb連載をはじめるにあたっての、水谷さんからのメッセージです。

認知症に関連する仕事をするようになって、
認知症の生きづらさ、認知症をとりまく様々なこと、
認知症とともに生きることを考えるようになりました。
答えのない問いや悩みの中で希望を探すうち
「認知症を考えることは、自分の生き方を考えることだ」と
思うようになりました。
認知症をきっかけに、「よりよく生きる」ことを一緒に考えていきませんか?


【連載は隔月に1度、偶数月中旬の更新を予定しています】