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【Web連載】
  
  
障害のある子の親である私たち──その解き放ちのために・47〈最終回〉


 
福井公子


◆その日──「津久井やまゆり園」での事件・1
 その日、朝のニュースで「津久井やまゆり園」での事件を知った後も、私は普段と変わりなく過ごしました。大して動揺することもなく、約束のあった親仲間との食事会にいそいそと出かけて行きました。あんな凄惨な事件が起きた後であるというのに、私はどうしてそんなことができたのだろう。私は無情な親なのだろうか。そのことを、ずっと考えていました。
 「容疑者を八つ裂きにしたい」「次は自分の子どもかもしれない」「恐怖に震える」。テレビやネットの中で、人々からそんなコメントが出ても、どこか遠い所の人が言っているようにしか思えず、ますます私は正直に語ることができませんでした。
 その日、食事をしながら親仲間と話したのは「あれは○○さんみたいな施設なの?」ということでした。○○さんとは、近隣にある知的障害者の入所施設。ショートステイなどで利用するその施設を、私たちは親しみを込めて「○○さん」と呼んでいるのです。
 私たちには馴染みがあるものの、日ごろ、社会からすっかり忘れ去られているような「○○さん」のような入所施設。静かな環境にあることも、その門構えも、建物の構造も、どこか共通している「○○さん」のような施設がテレビに大写しになり、どのチャンネルでもトップニュースで取り上げられている。事の重大さよりも、その非日常の世界に私たちは驚いていたのでした。
 そして、次に話したのは「名前を公表するのだろうか」ということでした。このような事件があった時、亡くなった個人を取り上げ、その人となりや、どれだけ惜しまれる存在だったかを伝えるのが(その是非はともかく)、これまでのマスコミの常とう手段でした。障害のある人も同じように伝えることができるのか。そんなことが、まず頭をよぎりました。なぜ、容疑者のことよりも、そのことが気になったのか。それは、いわば私たち親だからこそのカンのようなものでした。


◆報道から──「津久井やまゆり園」での事件・2
 この事件は、まだすべてが明らかになっているわけではありません。容疑者が極端な思想をもっていたことが原因なのか。その思想が入所施設で働いていたことに起因しているのか。薬物や精神疾患と関係あるのかないのか。ヘイトスピーチなど、少数派の人に対する憎悪感情が拡大されている流れなのか。それらの、未だわかっていないことには触れないでおこうと思います。ただ、一連の報道を見ていて、私が気になったことはたくさんあります。
 そのひとつは、障害がある人がこのような施設で150人も集団で暮らしていることに誰も疑問をもたないことでした。関西のある人気キャスターは、プールも体育館も備えていて非常に充実した施設だと。職員も200人以上いるので手厚い支援がされていただろう。そこで、仲間たちと穏やかに暮らしていた人たちだと伝えていました。
 仲間といっても、自分たちの意志とは関係なく、一緒の暮らしを強いられていただけなのに……。どんな命も大切と力説しながらも、生活の質は問わない、自分たちと暮らしが違うのは当たり前、そう考えているように思いました。それが、市民感覚そのものなのでしょう。しかし、予想をしていたこととはいえ、私にとってはショックでした。
 次の日には、手をつなぐ育成会の会長が親子で登場し、重度の子であっても親にとってはかけがえのない存在であることを語っていました。地元新聞でも、やはり親が引っ張り出されていました。私は、それを見てなんだか切なくなりました。親が大切だと言っているのだから、存在意義がある。そう伝えているように感じたのです。社会そのものが、この人たちの存在を肯定する言葉をもっていないのではないか。そう思えて、とても切なかったのです。親を媒体としなければ伝わらないことなのでしょうか。
 そして、どの番組でも障害のある人のことに触れるのは、臆病になっているように思いました。それがなぜなのか、私にはわかるような気がするのです。
 「障害者はいないほうがいい」「お金がかかる存在」。もちろん容疑者ほど極端でないにしても、それは私たちの心の襞の奥の方にあるのではないでしょうか。私は、親なので正面からそのことに向き合ってきたけれど、多くの人にとっては、そっとしまっておけることだったのかもしれません。この事件で、そのしまってきたものに気づいてしまった。だから、それ以上、踏み込みたくないのかもしれません。
 そして、やはり名前は公表されませんでした。それも、障害に配慮するとか、家族の意向とかいう理由で……。ああ、やっぱり!私が、一番恐れていたのはこのことでした。


◆なぜ怯えなかったか──「津久井やまゆり園」での事件・3
 名前が公表されなかった人たち。もっといえば、家族の意向で公表することができなかった人たち。その人たちのお葬式はどんなものだったのでしょう。容疑者に殺された上に、社会的にも殺された、そう考えただけで胸が張り裂けそうです。
 私も何度か、障害のある人のお葬式に出たことがありますが、どのお葬式も、たくさんの人が集まっていました。一番多いのが親仲間、その他にも養護学校時代の先生、それまで関わった人たち。そこには、その人の人生が見えました。しかし、それは顔も名前も出して地域で暮らしてきた人たちだったからなのかもしれません。
 今回の事件が、障害のある人だけを狙った猟奇的で凄惨なものであったにもかかわらず、私も周囲の親たちも必要以上に動揺しなかったのはどうしてなのでしょう。それもやはり、地域で暮らしてきたからではないかと思うのです。
 たとえば、息子が大声を出し始めると、私はまず近所に迷惑にならないかを考えます。場合によっては窓を閉めるなど気を使います。隣の人からは「最近、ケンちゃんの声がしないけど、元気なの?」などと言われることもあります。「ああ、やっぱりうるさいんだ」と思うものの、だからといって「いなくなればいい」などとは思われていないことも確かです。なんたって40年、そうやって暮らしているのですから。
 ここ一週間、私が見ただけでも、周囲ではいろんな事件?が起こっています。昨日は道の真ん中で座り込んでいる人がいました。どうも、通所施設の送迎車に乗りたくなかったようで、親や支援者さんが声をかけていました。でも、朝の通勤の車は大迷惑だったでしょう。
 用があって、近くの就労支援の事業所に行けば、ここでも揉めている人がいました。朝、お弁当を買ったコンビニで、お釣りをごまかされたと騒いでいるのです。いつものことで、本人さんの勘違いなのですが、支援者さんは一緒にコンビニに向かって行きました。
 自転車に乗るのが好きな人がいて、これが何度注意しても右側通行。まずいな、と思っていたら、やっぱり事故に遭ってしまったそうです。
 地域で暮らすとは、つまりこういうことなのです。そこには、いっときの安心もありません。しかし、地域と生身で触れているからこその関係も生まれてきます。それは、年に数回、イベントで地域の人と交流するということとは全く違うのです。
 確かに、地域の人からは「困ったもんだ、やれやれ」と思われているかもしれません。しかし、「いなくなればいい」「死んだほうがいい」などとは思われてはいない。そんな自信のようなものが私たちにはあるのです。それは、これまで一人ひとりが暮らしてきたリアリティがあるからだと思います。
 しかし、私たちがそんな暮らしをしてきたのも、たまたま幸運だっただけ。明日は、どうなるかはわからない。それもまた私たちの現実なのです。


◆親として──「津久井やまゆり園」での事件・4
 事件から数日して、障害者団体から様々な声明が出されました。手をつなぐ育成会からは、本人向けのメッセージも出ました。テレビを見て不安を口にする知的障害の人に、わかり易いメッセージが必要だと思っていたので、さすがの対応だと思いました。しかし、そのメッセージを読んで、私は考え込んでしましました。
 「もし、誰かが『障害者はいなくなればいい』なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。」
 ああ、やっぱり家族か……。本来なら、この言葉は一国の総理大臣に要求すべきこと。しかし、親はやっぱり家族で、と言ってしまう。「家族で守る」。しかし、それは家族の意向で名前を明かせないことと、どこかで結びついていくのだと私は思います。
 「19人の命を悼む」とはどういうことなのでしょう。私は今回のことで、入所施設が隔離収容の機能があったことが、はっきりしたのだと思います。「名前を明かせない人たち」がいた。そして、今もいる。私はそれが悔しくてなりません。そのことの理由を解明しない限り、亡くなられた方たちは浮かばれない。そう、思います。
 今回の事件は障害者差別ではなく、能力差別なのだと思います。特に自立支援法以降、障害者に「勝ち組」と「負け組」をつくってきました。「働ける」「役に立つ」「意志をもつ(ようにみえる)」「社会に迷惑をかけない」それらの条件を付けて障害者を肯定してきました。それについては、福祉においても、人権啓発においても、障害者運動においても無自覚だったような気がします。もちろん、私たち親においても……。
 事業別の支援体系は、同じような障害程度の人の集団をつくり、特に重度の人ばかりの集団は、本人にとっては過酷な環境です。息子たちの支援の現場を見ていて、それだけは自信をもって言えます。それが、24時間続く入所施設の暮らしは、暮らす人も大変、支援する人も大変。今後ますます、入所施設は重度の人ばかりの集団になりそうな気がします。
 かといって、これも重度だからという理由で自立生活への道は見えてもいない。それは、きっとお金がかかり過ぎるという理由なのでしょう。
 はなやかにパラリンピックが開催される一方で、入所施設の奥で置き去りにされている人たちがいる。障害者といわれる人たちのなかでの格差。今回の不幸な事件が、そのことに気づかせてくれた。不謹慎だと言われるかもしれないけれど、せめて、そう思わなければ、亡くなった人を悼むことにならないのではないか。そんな気がします。重度といわれる息子をもつ親のひとりとして……。


◆ご挨拶
 4年近くにわたって続けさせていただいた私のweb連載を、今回で終えたいと思います。これまで、ほんとうにありがとうございました。
 私は、息子の養護学校時代に、信頼できる人権教育の先生に出会い、「障害者解放」の考え方を知りました。また、親が真の意味で障害がある子を受容するには、社会的条件が必要であること、つまり共生社会の実現が不可欠であることにも気づきました。
 次第に、障害者運動、障害学、社会学に興味をもち始め、それは周りの親たちと考え方を異にすることにもなりました。また、入所施設大国であるわが県で、正直に私の考えを述べること自体、未だにできない現状であることも事実です。
 連載は、そんな私が「私のまま」でいられる唯一の場所でした。「母よ! 殺すな」から40年以上経た今も、私たち親は子どもを殺し続けているのだと思います。たとえば、生まれる前の選別において、たとえば、親が面倒を看れなくなれば入所施設が当たり前という考え方において……。
 私は、その親の惨めさ、無力さをいやというほど書いてきました。「母は、なぜ子どもを殺さなければならないのか」という、いわば言い訳のようなものを……。それは、これまで誰も触れなかった問題を社会の方に押し出すという試みでもありました。
 これまで、私の拙い文章を読んでいただいた方々に、改めてお礼を申し上げるとともに、このような機会を与えていただいた、生活書院の高橋さんに心から感謝したいと思います。ありがとうございました。




*福井公子(ふくい きみこ)さんは、徳島県阿波市在住、重い自閉症で知的障害がある息子さんがいらっしゃいます。2005年から阿波市手をつなぐ育成会会長。月に一度、地元の保健センターで「おしゃべり会」を開催し、親同士の自由な語り合いの場や家族支援ワークショップなどを企画しています。
 この連載は、
 「日本の障害者福祉は貧弱だと思います。障害がある人は家族が面倒をみて当たり前、どうしても看れなくなったら支援する。そんな貧しい福祉をカモフラージュしているのが、社会の『障害者の親』に対する眼差しでなないか。美談や家族愛の象徴として捉えてきた日本人らしい価値観。しかし、それは障害者の親(特に母親)の普通の人生を奪うことでもあると思うのです。そして、そのことさえにも気づかず、社会の眼差しをそのまま内在化させ疲弊していく多くの親たちを見てきました(私もその一人です)」
と語る福井さんが、「私たち親」の息苦しさとその解き放ちを、個人のこととしてではなく社会との関係の中で考えていこうとするものです。
 毎月一度、月初めに更新いたします。

【連載は今回が最終回となります。福井さん、本当に長い間ありがとうございました。なお、この連載の13回目以降掲載分を加筆修正、編集の上、単行本として刊行させていただく予定です。お楽しみにお待ちください】