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【Web連載】


『私的所有論』の登場人物・4(最首悟) 連載:予告&補遺・24

立岩 真也  (2013/07/17)
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  『私的所有論』関連人物紹介?、いったん休止と思ったが、作りかけがあったのだった。以下、最首悟の文章より。
  まず第2版に加えた註。第1章の註1。(私的所有)について井上達夫がいろいろと考えるべき主題をあげていることを紹介しているところに以下を加えている。

  【それ以前になかったか。もちろんそんなことはない。
  「私たちにいま改めて投げかけられている問題は、「人間の私的所有のどのレベルを人間は廃絶しなければならぬのか、あるいはどのレベルを廃絶できるのか」であると思います。」(最首悟[1990→1998:398])
  マルクス主義における/を巡る議論がもちろんあったが、それを経由しながらも別のところから、この国でも、「学」とは異なったところで、散発的にということになるだろうが、所有について呟かれたりしたことがあった。cf.第2版補章1注16・809頁】

  その第2版補章1注16のことは少し後にして、最首の文章は初版では、前回までいくつか関係する発言を紹介してきた出生前診断を巡る、あるいはそれにも関わる二つの断片が引用されている。
  一つめは第9章「正しい優生学とつきあう」の扉。(そこでもう一つ引かれているのが前々回引用した宮昭夫の文章。)

  「わたしは心身共に健康な子を生みたいという願いを自然なものとして肯定します。しかし、そうは思わない不自然さも、人間的自然として認める余地はないのだろうか。(最首悟[1980→1984:80])」(p.620)

  次にその章の注20。

  「◇20 「公害反対運動と、障害者運動はどこで共通の根をもちうるか…。誤解をおそれずにいえば、公害反対運動は、心身共に健康な人間像を前提にしています。五体満足でありたい、いやあったはずだという思いが、公害反対闘争を根底で支えています。これにたいして、障害者運動は、障害者は人間であることを主張する運動です。」(最首悟[1980→1984:75]【、最首について第1章注01・51頁、第2版補章1注09・802頁】)

  同じ章の注20。彼の娘さんに星子さんがいて『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』(1998、世織書房)がある。

  「◇27 その生活を知らず、そして「治すべき」「除去すべき」者ととらえ、「不幸である」と思い(引用A)、せいぜい「こういう幸福な例もある」といった程度のことしか言えない人は、情報提供、相談、告知の役割を担うことはできない。まず、そういう人は何も知らないということを知るべきだし、知らない事実を知る必要がある。そのために別のことを知っている人、別のものの見方ができる人(特に障害をもつ当事者)が教育・訓練の場に介入すべきである。また与えられる情報は公開され、検討されなければならない。と同時に、相談や助言の場に今いる人達と別の人達の参加が必要である。
  そしてより重要なのは、検査結果が出て決断を迫られる以前の場である。子の質に対して親が責任を負うべきだという観念、実際その帰結に対して責任を負わなくてはならない現実が与えられていることが問題である。安積遊歩[1990][1993]、境屋純子[1992]等、障害(骨形成不全、脳性麻痺)のある当事者が書いたものがある。知的障害をもつ子の親(達)による著書にしても(正村公宏[1983]や大江健三郎の著書がよくあげられ、それはそれでよいのだが)山尾謙二[1986]、最首悟[1984][1986][1988]【[1998]】、玉井真理子[1995b]、ぽれぽれくらぶ[1995]、松友了[1996]、等々がある。文字で書いたものでも、本人が書いたものでなくても、知らないよりよい(ものもある)。子どもの障害や障害をもつ子を育てることについては毛利・山田・野辺編[1995]が優れている。」(pp.716-727)

  そして第2版補章・1の注9。引用する箇所の前ではデリダ(Derrida, Jacques)の対談(インタビュー)やアガンベン(Agamben, Giorgio)の『開かれ――人間と動物』(2002、訳2004、平凡社)といった本からの引用がある。

  「【[…]「高草木光一が企画した慶応義塾大学での(二人で順番に話し、その後対談するという形の)講義で最首悟(→51・620・724頁、その時の話は最首[2009])、最首は人が殺す存在であることから考えを始めるべきであることを語った。私もそんなことを思ったことがないわけではないが、考えは進んでいなかった(し、今も進んでいない)。次のように述べた。
  「最首さんが提起された「マイナスからゼロヘ」の過程をどう考えるかということと、思想の立て方としては違うはずなのですが、西洋思想のなかにも「罪」という観念があります。その「罪」は、まず基本的には、法あるいは掟に対する違背、違反です。法は神がつくったもので、具体的な律法に違反したら罪人であるという。それは律法主義です。ただキリスト教はそれに一捻り利かせていて、行為そのものでなく、行為を発動する内面を問題にすることによって、律法主義を変容させていく。
  フーコーは、そういう系列の「罪」の与えられ方に対して一生抵抗した思想家だと私は思っています。ニ一チェ、フーコーというラインは、そこでつながっています。自分ではどうにもならないものも含めて人に「悪意」を見出す、そしてそれを超越神による救済につなげる。つなげられてしまう。これが「ずるい」、と罪の思想に反抗した人たちは言うわけです。私はそれにはもっともなところがあると思います。そして同時に、その罪の思想においては、人以外であれば殺して食べることについては最初から「悪」の中には勘定されていない。そうした思想は、どこかなにか「外している」のかもしれません。
  「悪人正機」という思想は、それと違うことを言っているように思います。では何を言っているのか。親鷲の思想にはまったく不案内ですが、いくらか気にはなっています。吉本『論註と諭』という本(一九七八年、言叢社)は、マルコ伝についての論文が一つと親鸞についての論文が一つでできています。前者の下敷きになっているのはニーチェです。吉本とフーコーがそう違わない時期に独立に同じ方向の話をしている。そちらの論文に書いてあることは覚えていますが、親鸞の方はどうだったか。ずいぶん前に読んだはずですが、何が書いてあったのだろうと。二つが合わさったその本はどんな本だったのだろうなと。
  そして去年(二〇〇七年)、横塚晃一さんの『母よ!殺すな』という本の再刊(生活書院刊)を手伝うことができましたが、彼の属していた「青い芝の会」の人たちは、しばらく茨城の山に籠っていた時期もありました。そこの大仏空(おさらぎあきら)という坊さんの影響もあるとも言えましょうが、悪人正機説がかなり濃厚に入っている。それをどう読むか、それも気にはなってきていることです。
  「殺すこと」をどう考えるかは厄介です。否応なく殺して生きているということは、殺すことそれ自体がだめだということではないはずです。そして、ならば殺すのを少なくすればそれでよい、すくなくともそれだけでよいということでもないのでしょう。殺生を自覚し、反省し、控えるというのは、選良の思想のように思えますし、人間中心的な思想でもあります。最首さん御自身の「マイナスから始めよう」という案も含め、落とし穴がいくつもあるように思います。功利主義的な議論のなかでは、「殺すことがいけないのは苦痛を与えるからだ」という方向に議論がずれてしまう。だから、遺伝子組み換えで苦痛を感じない家畜をつくり出してそれを殺すのならば、少なくとも悪いことではないということになっていく。これはさすがに、多くの人が直観的におかしいと思うでしょう。
  こうした問題は、それはどんな問題であるかは、これまであまり考えられてこなかったように思います。西洋思想の系列にはその種の議論がないか薄いように思います。それでも、ジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930〜2004)とエリザベート・ルディネスコ(E1isabeth Roudinesco,1944〜)の対談集『来たるべき世界のために』のなかで、動物と人間の関係や、動物を殺すことについて少しだけ触れた箇所があります。ピーター・シンガーたちの動物の権利の主張について質間を差し向けられて、デリダはいちおう答えてはいますが、その答えの歯切れはよくないし、たいしたこと言ってないんじゃないかと。アガンベン(Giorgio Agamben,1942〜)には、酉洋思想や宗教が動物と人間の境界をどう処理してきたのかという本(『開かれ――人間と動物』)もありますが、ざっと読んでみても、ああそうかとわかった気はしない。ただ、いま思想が乗っている台座を間うていけば、そんなあたりをどう考えるのかが大切なことのようにも思えます。どう考えたらよいのか、しょうじきよくわかりませんが。」(最首・立岩[2009]における立岩の発言)
  それに対して最首は次のように応じている。
  「いま、吉本隆明の「マチウ書試論」(『芸術的抵抗と挫折』未來杜,一九五九年、所収)にまたもどってきているというか、「絶対」と「憎悪」と〈いのち〉というと、問題意識を少し言えそうな気がします。」
  「マチウ書試論」(吉本[1959]、マチウ書=マタイ伝)の最初の部分は一九五四年に発表された。第6章注1・418頁で引いた「喩としてのマルコ伝」は一九七八年に書かれた。吉本はこれらの新約聖書(福音書)についての文章についてニーチェとマルクス(「喩としてのマルコ伝」では加えてヘーゲルとエンゲルス)の仕事に、とくにニーチェに言及している――「マチウ書試論」のあとがきには「キリスト教思想に対する思想的批判としては、ニイチェの「道徳の系譜」を中心とする全著書が圧倒的に優れていると思う。わたしに、キリスト教思想にたいする批判の観点をおしえたのは、ニイチェとマルクスとであった」と記されている(cf.Nietzsche[1885-86=1970,=1993][1887=1940,=1993]他)。フーコーの『性の歴史』の第一巻は一九七六年(Foucault[1976=1986])。吉本とフーコーは後でかみあわない対談をしていて、吉本[1980]に収録されている。(印象のその記憶だけを辿れば、当時フランスその他で普通に受容されていたヘーゲル的なもの、その歴史観を一方で受けとめる人がおり、他方の人はそうしたものへの反発からものを書いてきたということがあったように思う。そしてたしかに、吉本が例えば(歴史的な状態として)「アジア的」と言う時――他にもわからないことはたくさんあるのだが――私にはよくわからないところがある。)
  『論註と喩』(吉本[1978])は「喩としてのマルコ伝」と「親鸞論註」によりなるが、それ以前に吉本が親鸞を論じた著作として代表的なものに『最後の親鸞』(吉本[1976])。そこには次のような文章がある。
  「<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に<非知>に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。」(吉本[1876:5→1987:164])※「そのまま」(3箇所)に傍点」(pp.802-806)

  最首はよくわからんことを言う人でもあり、それでよいのだと思っているふしもある。ただなんにも考えてないということではない。こんどでる別の本でも最首はすこし出てくる(そしてそこでも吉本隆明が出てくる)。また何か記すことがあるかもしれない。



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