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【Web連載】


『家族性分業論前哨』広告・4 連載:予告&補遺・20

立岩 真也  (2013/10/07)
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  『現代思想』39-17(2011-12臨時増刊)が、「臨時増刊号 総特集:上野千鶴子」だった。そこに掲載された「わからなかったこと、なされていないと思うこと」という文章からの引用を、同時期に出た『家族性分業論前哨』の広告として連ねている理由については前々々回をご覧ください。
  今回は前々々回、前々回前回の引用の続き。以下。『現代思想』まだ売っているので、全体を見たい人はどうぞ。

 ――以下――

残されることの例1・いくら得るのか
  働く側が――仕事をして金を得るとして――いくら得るのか。実際が何によって決まっているのかという問いもある。女の仕事は安い、そしてケアは女の仕事だとされてきた、だから安い。そのように言われる。ごくごく素朴に経済学の教科書の頭に書いてあるようなことを信じて反論する人たちにはいくらか説明を足す必要があるしても☆06、その可能性はある。はなから否定する必要はない。ただ別の説明もありうる。ここでは幾つかの契機を並べるに留めておくが、このことについて考えることも終わっていない。
  本人は払えない、払うべきでないとしよう。そして価格は政治的に決定されるとしよう。その価格は市場(で決まる労賃)の影響を受けないわけではない。ただ、政治の場(やさらに言えば――これは大きな要因だと思うが――職場)での力学が影響する場合もある。例えば、医師も医療保険から金を得ているが、多くはかなり多くを得ている。それはその人たちの総数や、また公定の価格が――以前よりは力が弱まったとはいえ――同業者たち(とくに開業医たち)の影響力を介して政治的に決められているという事情はあるだろう。他方にそうした影響力を行使する主体が存在しない、あるいは解体させられてきた部分もある――ヘルパーに関わる(非営利・営利を問わず)民営化にはそうした部分がある☆07。
  そして決まった価格が低いために、供給が不足することがありうるし、現にそれは起こっているが、それをさほど気にしないのであれば、そのままにされることもある。
  そして同じ仕事を、実際にただで、あるいは安く行なわれているという事態が広く存在するという現実にあり――女の仕事が安いから、という話はここに入ってくる――こうした場合には、支払いが抑えられることもありうる。とすると――そのことは自覚されつつ書かれているのだが――その本の後半に出てくる「共助」の人たち・組織があって、活躍していること自体が、全体を安く抑えているということにもなりうるだろう。
  そして問題はたんに時間あたりの単価の安さではない。多く労働時間が細切れで安定した量にならない、したがって暮らせるだけの収入にもなりにくいという事情がある。そこで繰り返しになるが、「兼業主婦」がそれを、ということになる。「共」はそうして成り立ち、成り立っているから安くされているという可能性はある。
  そこで、「専門性」を言い、あるいは高め、そのことをもって地位の向上を言うという流れもあってきた。たしかに、その仕事には難しい部分もある。そして市場では一般に(需要に対して)供給するものが稀少である場合に高い値がつく。しかし、この線で主張していくことは、結局自分たちの首を絞めることになる。やめた方がよい。このことも私は幾度か述べてきた。
  政治的に決定されるものであるなら、それを政治という回路を通して変更することは原理的には可能だ。だから、どうして安いのかという分析とは別に、どうするべきであるかを、例えば「並み」の賃金をと言うことは可能だし、やはり原理的には、できないわけではない。少なくとも言うだけ言うことはできる。
  その上でなお問題は残る。この仕事は、多く、「ながら」「ついで」になされてきた――いやその仕事はそんなものではない、と言う人が言いたいことはわかるが、すくなくとも一部にそういう面があることは否定できない。そういう仕事に値をつけるとして、どうしたらよいのか。これも――そんな仕事に払うということをこの社会はやったことがない――まともに考えられたことのない問いである。
  また例えば育児であれば、同じことに倍かける人もいるし、三倍かける人もいる。その場合にどうするのか。これも考えておいてよい問いであり、そして基本的には規範的な問いである。(私は育児については、基本、同じ額でよいと思う。ただもちろん別の考え方の人もいるだろう。するとし、その人に、私がそう思う理由も言わねばならない。)そしてそれは、どれだけを社会が負担すべきものとするのかという問いである。そのことについて、様々な政策提言の類はあり、実際に政策が実行されたり、すぐさま引っ込められたりするのだが、基本的なところから考えられたものを、私は見たことがない。

☆06 まず同じ性能のものであれば同じ価格で買われるはずだと言って、男女に差がないなら、差は生じないはずだという素朴な話がある。ただ第一に、その人自身に備わったものというよりはその人が生きているあり方に関わる差異やその可能性がある場合はある(例えば将来子どもをもち、育てる負担をより多く担う可能性、さらに退職する可能性)。その可能性による差別(統計的差別)が、よしあしは別としてなされうる。そのためにやる気が失せ、実際に退職したりする人も出てくる。これは(悪)循環を形成することになる。これを生じさせにくくする手として、所謂「コース別採用」といった「仕分け」が有効な場合はありうるが、それでもわからないものはわからないし、その上でなお仕分ける(仕分けさせられる)のだから、乱暴な方法である。第二に、十分な労働の(潜在的な)供給力があり、そして人々ができることがそう違わないのなら、あるいはそもそもその業界に競走が(あまり)働いていないのであれば、労働能力と別の理由、例えば好き嫌いで採用しても、さして不利にはならないということはある。こうして、前提をすこし変えたり、強い仮定を弱めたりすれば、それなりの説明は可能になる。
☆07 その組織化を嫌った部分がたしかに「当事者」たちにもあった。例えば暮らしてきた施設の職員たちやその労働組合が自分たちにどれだけのこと、どんなことをしたかということもある。限られてしまっている総額の中で多くの利用時間を獲得せねばという事情もある――とすると時間当たりの単価が安い方がよい、安くせざるをえないということになる。両者の利害がぶつからざるを得ないことが起こる。ただ、安定的に仕事をする人を調達できることはその人たちにとっても必要なことだから、基本的には、その処遇の向上の方向については一致してもいる。そして、いったん一人ひとりに個別化された介助者・ヘルパー達の集合性を作っていこうという動きも出てきている。上野の本に出てくるような人たちとはまたすこし異なる年齢・社会的位置にいる介助者の生活や思いについては、註5で紹介した、渡邉[2011]――渡邉は自ら日本自立センター(JCIL)で働く介助者でもある――をまずは読んでもらうのがよいと思う。

  ――以上――

  ただ働きで損している、あるいは(不当に)安くされている、と主張するとしたら、一つ、本来は払われるべきであること、そして さらにいくら(ぐらい)が適正なのかを言えねばならない。(加えると、「本来」は払われるべきでない、という主張もありうるわけで、それも一つの論点にはなる。この主題については――この主題だけを論じているわけではないが――立岩真也・堀田義太郎『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(青土社、2012)を読んでください。堀田さんが「本来は」無償派として、私がそうでない立場で書いています。)
  もう一つ、安いなら安い、ただならただ、というのが現実だとして、なぜそうなっているのかという別の問いがある。両者は無関係ではない。例えば、ただで当然だと思われているので、ただになっている、とか。ただ関係がある可能性はありつつ、2つは別の問いである。
  これらについてあまりきちんと考えられていないという感じをもってきた。それで、人によってはなんでこんなにわざわざ長くと思う人もきっといるだろうと思いつつ、『家族性分業論前哨』の第2章「妻の家事労働に夫はいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」では、夫が払うことにするとした場合、それにはどんな理由が考えられるかを考えてみた。そして、その各々(考えられる理由は一つではない)から――そこでは、基本、同じ労働時間については同じだけ払われてよしという線で考えてみたのだが、どれだけ妻は得られてよく、それは現状と比べた場合どれほど(不当に)少ないと言えるのか、言えないのか考えてみた。
  で、結果どうなったか。子育て(と夫の世話)をする「専業主婦」に限れば、そして「払い」の話にしてしまうと、女性が不当に損をしているとは言えないということになった。では、その人たちは文句は言えないのか。そういことでもない、と、話は続くことになる。そういう仕事に本来どれほどの意味があるのかとは思う。しかしすくなくとも一時期そんな話があったわけで、それはそれでいったんは確かめておくべきだ。それだけで400字詰220枚になってしまった。そんなに長い話がいるのかと思われることだろう。しかしいる、と私は思って書いたし、今もそう考えている。


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■生活書院の本×3

◆立岩真也・村上潔 2011/12/05 『家族性分業論前哨』,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110 [amazon][kinokuniya] ※ w02, f04
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 2012/12/25 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 1200+ [amazon][kinokuniya]
◆渡邉 琢 20110220 『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』,生活書院,420p,ISBN-10: 4903690679 ¥2415 [amazon][kinokuniya] ※ ds

『家族性分業論前哨』表紙    『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙    『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』表紙